SHIFT 日本語版 | PEOPLE | ベンジャミン・グロッサー
いま、街はテクノロジーで溢れ、私たちは毎日のように新しい技術に驚かされている。しかし時々ふと疑問に思う。テクノロジーは、この先どうなっていくのだろう、と。ベンジャミン・グロッサーはアメリカで活躍するアーティスト/作曲家だ。彼は日々、何か面白いものや今までになかったものを探し、素晴らしい作品を作り上げる。無限の可能性を持つ作品「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン(相互作用的な、ロボットによる絵画製造機)」を完成させた彼にインタビューを行い、彼の考え方に触れてみた。
まずはじめに自己紹介をお願いします。
私はアーティストであり作曲家です。現在は、アメリカのイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でニューメディアの美術修士課程(MFA)にあります。以前は同大学で作曲に関する2課程を修了後、ベックマン高等科学技術研究所でイメージングテクノロジーグループを率いていました。
あなたが毎日、どのようなことを考えているのか興味があります。どこからインスピレーションを得るのですか?
私たちの日々の体験をテクノロジーが変えていく、その様子に私は大きな魅力を感じています。自分がテクノロジーを利用するときは常に、それが文化的、社会的、心理的にどういった効力を持つのかを分析しています。例えば、コンピュータはどう画像を表示するのかを調べているときは、コンピューターを介した映像は、コンピュータを介さない時の私たちの物の見方を変えるのかどうか考えています。リアリティ番組を観ているときは、カットの切り替わりのペースがどんどん早くなっていることに気づきました。そこで、「リアルな」メディアは、メディアを介さない本当の現実を変えてしまっているのではないかと考えました。また、GoogleやFacebookのような、ユーザーが欲するものを絶えず見つけ出そうとし続けるウェブサー� �スを使うときは、人工知能システムを、それ自体のニーズのために動くよう開発するかわりに、人間の手助けをするようにデザインしてみたらどうなるだろうかと自問するに至りました。この種の疑問は、私自身が持っている批判理論、科学、人文科学の解釈の中からも生まれてきます。そしてこうした疑問の答えを探求しようと、作品の制作に繋がっていきます。
「Finding your Voice」(声を見つける)(2010)
作品を創作する時の信条は何ですか?
能楽は、日本でどのような影響を及ぼすを果たしているのでしょうか?
私は自分の作品が、これまで研究されてこなかった文化や技術の側面を明らかにするものであって欲しいと思っています。同時に作品で明らかにしたことは、どのような受け手にも理解できるものであって欲しいのです。高度な美術史のコンテクストを当てはめて私の作品を解釈する人もいます。一般的な興味だけがあり、それをテクノロジーに関する個人的な体験と結びつけて作品の本質を見る人もいます。その両極、そして中間に位置するすべての人と対話するため、私は作品に、いくつもの意味を層のように重ねあわせて設定します。誰もが理解できるポイントを提供するのです。作品に取り組めば報われます。拒否されることはありません。
また、私が探求している疑問に対して、鑑賞者ひとりひとりが考えやすくなるように、私はよくインタラクティブな方法を用います。特定のインタラクティブな体験を作り出すことによって、鑑賞者は自身の体験と、私が彼らに提示するテクノロジーの効果とを結びつけて考えることができるのです。
あなたの作品を見て、人々は何と言いますか? あなたの作品は誰にでもよく理解され、心を掴むものですか?
私の作品は、さまざまな反応を受けます。制作時に私が意図していたことをほぼ理解する人もいます。自分の経験を作品と結びつけて、私が決して考えつかなかった結論に達する人もいます。どちらの結果も私にとっては興味深いものです。どんな人でも作品から何かしら得ることができるように、私はどの作品にもたくさんの入り口を作るようにしています。
「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」を見つめるベンジャミン・グロッサー
「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」についてお伺いします。どのようにしてこのアイデアを思いついたのですか? そしてどのくらいの期間構想しましたか?
私は長い間、適応性のあるシステム、あるいは人工知能のシステムにアート作品を作らせるという可能性に興味を持ち続けてきました。作曲家として私は、譜面を書き音を奏でるソフトウェアを開発したことはありましたが、私の関心が視覚芸術、中でもとりわけテクノロジーへと移っていくにつれ、私は、人間の日々の体験がどれほどテクノロジーを介したものになりつつあるかについて考え始めたのです。携帯電話、検索エンジン、ソーシャル・ネットワーキング。これらのシステムはインタラクティブな作用を促進しながら、我々のニーズや欲求を予測し支援するものです。こうしたシステムは複雑性、あるいは知性の中で成長していきますが、その知性は、関わる者をどのように変えるものなのでしょう。そしてその知性は、自� ��の必要性のために自分の作品を作りうるでしょうか?
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上から見た「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」
この最後の疑問が、「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」を作るきっかけとなりました。私がデザインしたアート製造マシーンは、私のために作品を作るのか、それとも自分自身のために作るのか。機械の視点は人間のそれとどう違うのか。そして機械の視点は作品の中に、目に見えるものとして現れるのか。私のこの思想はシステムによって強められるのか、それともシステムの中に消えてしまうのか。言い換えれば、現時点ではまだ「テクニウム」の一例に過ぎないとしても、このシステムによって機械は生命を持つのか、それともこれは我々がシステムを擬人化して考えているだけなのか。
「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」のブラシ部分
こうした疑問を考えるために作ったのが、人工知能によって自分で体を動かし、自分で判断し絵を描く機械「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」です。これは、周囲の音を聞き、何を聞いたかを絵を描くプロセス内に入力するというシステムです。周りに音をたてる人や物がない時には、他の多くのアーティストと同様にこの機械も自分自身に耳を傾けています。しかし他からの音を聞くと、それによって行動を変えるのです。ちょうど私たちが微妙に(あるいははっきりと)他の人の言うことに影響されていくのと同じように。
「インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン」
私は長い期間、機械を作ろうと構想していました。しかし一旦作り始めてからかかった期間は1年半程度でした。
あなたの作る音楽は「とても騒々しく不快」だと聞きましたが、あなたはどう思いますか? 音楽制作についてどうお考えですか?
それは「優位の適所(Epistatic Niche)」と題した、トランペットとピアノとパーカションと電子音で作った私の曲に対する、ある新聞のレビューからの引用ですね(興味があれば、私の曲は全て無料でダウンロードできますので是非聴いてください)。私はその意見が大好きです。確かに私の音楽は不調和の音調を使いますし、楽器でもコンピュータでもたいてい大音量で騒々しく演奏するスタイルです。私にとってはこの音楽は美しいのですが、不快と感じる人もいるでしょう。それは構いません。ただ、より多くの人が私の音楽や、似たスタイルの作品を聞けば聞くほど、人々は私に共感し始めると思います。仮にそうならなくても、それもまた良いでしょう。
"ここで、ボールルームダンスソタフロリダへ"
インタラクティブアートの制作と音楽の制作はどう違いますか?
インタラクティブアートとは、鑑賞者と作品との間の相互交換のプロセスです。作品は鑑賞者と相互交換できるような、あるオプションを提示し、鑑賞者は作品に何らかのアクションを行います。作品はそれに対するリアクションをあらかじめ提供された入力装置に入力し、鑑賞者とやりとりをするのです。このフィードバックの循環が、鑑賞者の体験を構築するベースになります。そして願わくば作品を理解する手がかりとなるのです。音楽も、フィードバックの循環の一面を持ってはいますが、それ以上に、あらかじめ組み立てられた時間軸上で具体的な演奏体験を共有するものです。表現と時間的尺度についてのこの違いは、制作課程にも違いをもたらします。インタラクティブアートを作るには、このフィードバックの循環を繰� ��返し改良しなければなりません。一方音楽は、物語の(あるいは反物語の)始めから終わりまでを創造するものです。
インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン
尊敬する人は誰ですか?理由も教えて下さい。
私は多くのアーティストや作曲家にインスパイアされています。ヤニス・クセキナスの、コンピュータと音楽を融合させた先駆的作品は私がこれまで聞いた音楽で最も「不快な」(私にすれば「美しい」)ものでした。私が幸運にも師事することができた2人の作曲家、サルヴァトーレ・マルチラノとザック・ブラウニングは20世紀後半から21世紀でもっとも重要な作品を作った作曲家だと思います。視覚芸術では、ビル・ヴィオラの作品が好きです。ビデオアーティストである彼の作品は、私に時間について新しい方法で考えさせてくれます。他にはラファエル・ロサノ=ヘメル、カミーユ・アッターバック、ダン・グラハム、ロクシー・ペイン、ジョアン・ミッチェルが様々なやり方で刺激を与えてくれました。
頭部交換時に描かれた絵(2011)/油彩・キャンバス、10"x10"
© インタラクティブ・ロボティック・ペインティング・マシーン
休日には何をしてリラックスしますか?
インターネットでテクノロジーやプログラミングについての文献を読んだり、競争の激しいリアリティ番組を観たり、ビデオゲームをしたり、音楽を聴いたり、友達と会ったりします。アーティストで良かったこと、これはあるいは難点でもあるでしょうが、それは私が常に作品のことを考えているということです。考え、作ることはとても楽しいからです。だから休日の間もたくさん考え、たくさん作っています。
あなたにとってテクノロジーとは何ですか?テクノロジーに対するあなたのご意見をお聞かせください。また、以前はどのように考えていましたか?テクノロジーは、あなたにとってどんな意味を持つものですか?
私たちが絶えず新しいテクノロジーを創造し続ける理由のひとつは、人間という生物の特徴をはっきりさせるためです。車輪から井戸に至るまで、また飛行機からトランジスタに至るまで、新しいテクノロジーはみな、新しいアイデアと新しい可能性をもたらします。しかしまたそのどれもが、知られざる副作用を持っています。私が興味を持っているのはそのことなのです。私が最も好きな言葉のひとつに、アメリカのメディア理論家、マーシャル・マクルーハンのものがあります。「我々は道具を作る。その後、道具が我々を作る」テクノロジーの進化は、私たちがその課程を完全に理解するよりも断然早く、その進化の早さは私たちの生命や、生き方を変えていきます。そのことに私は大きな魅力を感じます。しかし同時に他のい� ��いろな疑問についても考えることはやめられません。
自画像(2009) アーティストが開発したソフトによってコンピュータ制御で生成されたデジタル画像
その素晴らしい頭脳で、将来は何をやりますか?
現在は、ソーシャル・ネットワークの様々な側面を研究するインタラクティブアート作品のシリーズに取り組んでいます。ソーシャルネットワークはいかにして人々を均質化し、個々の表現を制限し、人どうしの関わり方を変えるのか。それをネットワークの内側と外側から研究します。
ありがとうございました。あなたの作品に日本で会えることを楽しみにしています。
どういたしまして、インタビューをしてくれてありがとう。2005年に、第2回国際ユニヴァーサルデザイン会議に出席するために日本を訪れました。(はじめは京都に、その後東京に滞在しました。)この旅で私は日本の人々、文化、食べ物が大好きになりました。また行きたいです。私の作品が日本で展示されればとても光栄です。いつかその機会が得られることを楽しみにしています。
Text: Memi Mizukami
Translation: Shiori Saito
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